3ヶ月の韓国活動から帰国したばかりモデル「高野友吾」のチャンスを掴み取っていく力と背景にある熱い想い

高野友吾(Yugo Takano)/ Instagram: @yugo_takano

H 185cm / C 92cm / W 76cm / H 94cm / S 26.5cm (BARK in STYLe所属)

 

・東京に来たのはいつですか?

ー21歳の時です。今は本格的にモデルを始めてちょうど1年半くらいかな。
インスタグラム(以下:インスタ)を見てくれた東京のクライアントさんから連絡をいただいたのがきっかけですね。

 

・地元の大阪では何をされていたんですか?

ー大阪の北新地という繁華街でボーイをしていました。
モデルを始めるために、まず、活動資金を貯めることを目的にしていたのと、あとコネクションを作りたかった。何かチャンスがあるんじゃないかと思ってボーイの仕事をしていたのですが、人に自分からすり寄っていくっていうのは違うんだなって思いました(笑)
考えが若かったですね、そこでは18歳から20歳まで働いていました。

 

・モデルになりたいという気持ちはその当時から持っていたんですね。

ーそうですね。もうこのまま勢いでヨーロッパに行って頑張った方がいいかなって思っていたのでまず貯金をしていました。
モデルになるのに何が重要かとかも全く知らなかった。高校生の頃、モデル事務所のオーディションに受かったこともあったんですけど学業より仕事を優先してほしいって言われちゃって。それを担任の先生に伝えたら、やるのはいいけど留年するよって(笑)
それで事務所に入るのは断って、結局その時はモデルはやらなかったんです。

 

PHOTO Ena Kitamura

 

・その後どこかの事務所に入られたんですか?

ーいえ、そこからはどこも入らずにモデル自体も始めなかったんです。「これからどうしようかな」と思っていたらある事務所のマネージャーさんに出会って「大阪でファッションの仕事は難しいよ」って言われて。それならこのまま大阪にいて、ただ時間をやり過ごすのはもったいないなと思ってヨーロッパに行こうと思ったんです。
資金集めのためにボーイとして頑張ったけど特にコネクションもできなくて、さらにヨーロッパでお世話になる予定だった人とも連絡がつかなくなっちゃって。いつでも来てねって言われてたから裏切られた気分だった。必死で働いてお金貯めたのになーってその時すべてを諦めかけて、せっかく貯めた100万円も半年くらいで遊びに全部使ってしまって。
でも、また気合入れなおそう!と思って居酒屋で働きだした時に始めたのがインスタ。インスタきっかけで、一度ちょっとしたモデルの仕事をやらせていただいた時に、もしかしたらこのまま東京でモデルとして活動できるかもしれないって思って幾つかのモデル事務所に履歴書を直接持って行ったりしました。アポなしなので入り口で断られたところもあったけど(笑)

 

・アポなしはすごいですね(笑)

ーそうなんです。アポなしだったし、運良く会っていただけてもその時の自分には魅力がなかったんでしょうね。全部断られてしまったので「どうしてダメなんですか?」って電話したりして。
ある事務所に「君には個性がない」って言われたのがムカついて、その日のうちに坊主にしました(笑)それをインスタにアップしたらUNITED ARROWSさんのお仕事をいただけたんです。でも、撮影自体は10時間もあったのに僕が使われたのはたったのワンカット、しかも顔だけしか使われていなかった。僕はそこまでダメなのかって思ったら逆にやる気が湧いてきました。落とされたら落とされたぶんだけ張り切る性質なんです。

 

・顔のアップだけ使われたということですか?

ーうーん、というかその時出た他の5人はスタイリングが1人1ページずつとかだったのに僕だけ顔だけで、スタイリングのページももらえなかった。親も楽しみにしてくれていて「見せて見せて」って言われたけど「まだ届いてないわ~」って嘘ついたりして(笑)

 

・ご両親は応援してくれていたんですか?

ーそうですね。親が「身長もあるしモデルやってみれば?」って言ってくれたのがきっかけでもあるんですよね。
最初は「モデルなんてできるわけないでしょ」って思ってたけどファッションはすごく好きだったから、スタイリストやデザイナーっていうファッションに関わる仕事を考えてみたけどどれもピンとこなくて。僕はやっぱり服を作ったりスタイリングするんじゃなくて、服をカッコよく着てカッコよくなってる自分が好きなんだなって思ってモデルに興味が出てきたんです。でもそう思い始めてから大阪にいる期間がすごく長かったですね。

 

arena Korea

DAZED

 

・最初にモデルになりたいと思ったのは高校生くらいのとき?

ー高校生の時に興味が出て21歳まで大阪にいました。
その時間を無駄にしたような気もするけど、でもあの時の色んな経験は今に役立ってるなとも思ってます。

 

・ご両親に頼らずに一人で準備されたんですね。

ーそうですね、そうするしかなかったです。
実家もそんなに裕福じゃなかったし、東京に出るときも家が大変な時期でもあったからあんまり親には頼りたくなかった。

 

・上京を決めたのは事務所が決まってから?

ーいえ、その顔だけしか使われなかった仕事に対して自分がムカつきすぎて、「よし、上京するぞ!」って決めて2ヶ月後くらいに勢いで上京しました(笑)

 

・東京に友達やコネクションはあったんですか?

ー全くなかったです。友達もいなくて上京してしばらく居酒屋で働いていました。
そうしているうちにインスタ経由で東京コレクションの『ミハラヤスヒロ』さんへの出演依頼をいただいたんです。ショーへの出演がきっかけで今の事務所も紹介してもらいました。

 

・ご自分で以前オーディションを受けられた事務所ですよね?

ーはい、あの時アポなしで受けた事務所のうちの一つ。でもすっかり忘れられてました(笑)事務所に入ってからも1年間は隠し通しましたね(笑)でもあのアポなしで突撃した時に比べて自分自身がいい風に変われたのかなっていうのはあるし、もちろん僕をプッシュしてくれたブランドさんの力もあるだろうとは思います。

 

・悔しさという気持ちから行動に移されたんですね。

ーそうですね、結構それはどんな時もあると思います。劣等感がすごく強いのでそれがいい意味で自分の原動力になってるというか。絶対負けたくないっていう気持ちもその時は強かったかな。

 

ESQUIRE Korea

 

・東京に来てから思ったように仕事はきましたか?

ー全然来なかったですよ!
周りの期待にも応えたかったし自分なりに頑張ってたけど、そんなに最初からうまくはいかなかったな。当時は他のモデルのことを敵を睨みつけるような目で見てたよねって最近言われるのが恥ずかしい(笑)若かったなーと思います。
仕事を取るために試行錯誤したり、一人暮らしも始めたからお金もないし、「これからどうしよう?」みたいなのが1年くらい続きました。事務所にファッション以外の仕事もやってほしいって言われて喧嘩したこともあるくらい、僕はファッションの仕事にしか興味がなかったんです。生意気なようだけどそこの自分の芯は大事だなって思ってたから。
でも東京で食べていこうってなるとファッションだけって難しいですね。そこから徐々にドルチェ&ガッバーナの来日ショーの仕事とかが決まるようになってきた感じです。

 

・今は韓国にも活動の場を広げているんですよね。

ー2018年の後半は約3ヶ月韓国に住んでモデル活動をしていました。「ファッションをやりたい」っていう軸が自分の中に一本あり続けたから、韓国でファッションの仕事ができるようになったんじゃないかなって思ってます。

 

・今は海外でもアジア人の起用が増えてきているけどまだ日本は弱い立場かもしれませんね。

ー韓国で周りのモデルさんを見ていると、仕事にかけてる熱量が違うなって思うことも多くありました。若いモデルでもショーの3日前からご飯も水も減らしてコンディションを整えるとか、日本ではあまり見られない気がします。

 

・長く海外で生活するって大変な経験ですね。

ー海外でモデルとして何かを成し遂げて帰ってきた人は、それ以前と人間としての中身が全然違ってくるしビジュアルにもそれが出てる気がする。撮影に対する自信一つとっても違うなって。今言ったのって僕がそうなんじゃなくて、海外やヨーロッパで活躍してきた先輩たちが発する言葉ってやっぱりなんか違う感じがするんですよ。
でも、海外で一人は厳しい。だから意地でも友達を作ろうとしてました。人見知りしてたら自分が損するだけ。たくさんの人と接して、いいなと思う部分を自分に落とし込むのも大事だなって。表現の幅も広がるだろうし。

 

PHOTO Ena Kitamura

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