20歳を迎えた「エモン久瑠美」柔らかな空気感に包まれた彼女の奥底にある行動力と強さ。今まで、そしてこれからも変化していく魅力。
エモン久瑠美 (Kurumi Emond) / Instagram: @kurumixo_
H 171cm / B 85cm / W 62cm / H 92cm / S 25.0cm (eva management所属)
PHOTO / Ena Kitamura
・モデルのお仕事を初めてどれくらいですか?20歳になったんですよね!
―3年半くらいですね。最近やっと20歳になったんですが、最高に楽しいですね!!どのフェスにも行けるようになりました。場所によっては未成年NGのフェスも結構あったのでそれも嬉しいですね。クレジットカードの契約なんかも自分でできるようになったのが嬉しい(笑)20歳になった時点で一番マイルの貯まるクレジットカード作ったんですよ。国内でも飛行機移動多いし、最近海外のお仕事もたくさんやらせていただくようになったのでそっちの方が得だなって。公共料金とかもカードで払ってます(笑)未成年の時はWi-Fiの契約すら親の同意がないとできなくて悔しかったー。もう働いてるのに!って。
・そうね、私たち世代は携帯を持ち始めたのも大人になってからだったからその苦労はわからないかも(笑)
―今全てがスマホで完結しちゃうから失くしたら終わり!って感じですよね。仕事で行く飛行機のチケットもスマホに来るし。昔、失敗しちゃったことがあるんですけど、韓国の撮影で仕事前日の夜に友達と会ってて、送ってもらった車の中にスマホを忘れちゃったことがあって。車の持ち主の連絡先は知らなかったし、撮影場所の住所も乗る飛行機もわからないからパニクって、「どうしよう!」と思ってたら、その友達の名刺が床に落ちてて、「神様――!ありがとう!!」って感じだった(笑)。その日が自分の誕生日だったからこれは神様のおかげだなって。怖い思い出です…(笑)。
・生まれたのはどちらですか?
―生まれは日本で、東京の都内から少し離れたところです。9歳で家族でカナダに移住して、15歳の時に日本に帰ってきて16歳からモデルを始めました。
・カナダではモデルのお仕事は全くやっていなかったんですか?
―はい、全然。日本でも最初はやっていなくて、表参道ですれ違ったカメラマンさんに声かけられたのがきっかけです。「日本人ですか?日本語喋れますか?」「カメラマンをやっているものなんですけどよかったら撮影をさせていただけませんか?」ってお声がけいただいて、その方に今の事務所を紹介してもらって入りました。モデルとしてちゃんと仕事をしだしたのはそれからですね。
・もともとモデルはやりたいと思っていましたか?
―面白そうだなとは思っていました。表参道のコンビニでアルバイトしていたんですけど、モデルさんやファッション業界の方がよくいらっしゃるんですよね。まだモデルやっていない時にスレトシスのデザイナーさんが来店されて、私がレジやってたら「こういうブランドのデザイナーです、良ければ連絡ください。」って言われたこともありました。それがきっかけで事務所に入ってからオーディション行かせてもらったり。バイト先のコンビニで業界の方に名刺渡されることが結構多かったかもしれません。今でも撮影現場でお会いするヘアメイクさんや、スタイリストさんに、「ねえ、〇〇コンビニのエモンちゃんでしょ?」って声かけられることも(笑)。コンビニの常連さんにも街で「あ!エモンちゃん!」って言われたり、ちょっと恥ずかしいですね。カメラマンさんから声をかけていただいたのもコンビニの帰りだし、全てがコンビニから始まってるんです(笑)
©NYLON Koea / 2018 May
・カナダに行ったのはどうして?
―親の事情で家族全員で引っ越したんですが、色々あって日本に帰ってきました。一番上のお姉ちゃんだけすでに成人していて向こうで仕事もあったから1年長く残って。それから姉もモデルやりたいって日本に帰ってきて今は家族みんな日本に住んでます。
・逆に違う悩みがあるんですね。お父さんはカナダの方?
―そうですね、カナダのケベック出身です。この間の写真展はケベックを舞台に撮影しました。9歳でカナダに住むまでは一度も海外に行ったことがなくて、1カ月前に突然カナダ行くよ!って言われて生活が始まった感じです。日本に帰国してからもカナダと日本以外は海外に行ったことがなくて。お仕事でも海外に行き出したのは1年半前くらいからですね。アメリカもトランジットで一回空港に降りただけ。ヨーロッパも去年行ったロンドンが初めてで、最近は台湾と上海と韓国に行きました。ハワイやグアムも未経験!
・カナダに行く前から海外にはたくさん行っているのかと思ってました。
―全然!カナダからもあちこち行ってみたかったけどパスポートやビザの関係で気軽に旅行できなくて。
・三姉妹の末っ子ですが家族の中ではどういう立ち位置ですか?
―末っ子の私が一番早く家を出て自立したから母は少し寂しいみたい。娘に頼ってほしいのに「ママ、私は大丈夫だから」ってなっちゃうから。17歳の時にもう家出ちゃったからなぁ、でもたまには甘えてほしいみたいですね。姉も「妹はしっかりものです」って言ってるらしいですよ(笑)
・家族での会話は何語ですか?
―親とは日本語です。カナダに行った時はフランス語なんですけど、当時は一言もわからなくて、通っていたのが現地の学校だったから大変でした。田舎の学校だったので海外から来た生徒も一人もいなくて、「チャイニーズがやって来た!」って言われてましたね。アジア系だと基本チャイニーズって言われますよね。日本にいると外人って言われるし海外だとチャイニーズって言われちゃう。
・育った場所によって海外の雰囲気が身についたりしますよね。
―アメリカ育ちのハーフの子も、どこ系のアメリカ人かで全然違いますよね。アフリカ系もフランス系もあるし。私も父はカナダ人だけど曾祖父がインディアン系で祖父がイギリス系で、色々ミックスされてるからちょっと特殊な顔をしてるんですよね。
・日本とカナダ、2つの国に対して自分のルーツを感じることはありますか?
―自分がカナダ人っぽいなーと思うのはストレートな所。何か言われてもすぐ判断するしはっきりものを言う性格だと思う。日本人っぽいところでいうと、人によく言われるのが「謙虚だね」って。それは自分ではよくわからないですね。元々の性格なのか日本人らしさなのかただの恥ずかしがり屋なのか(笑)。癖なのかな?とりあえず腰を低くするっていう所は日本人っぽさなのかもしれない。
・それが性格になってるんですね。
―うん、腰は低いけど言いたいことははっきり言います。嘘をつかれたくないしつきたくないから。日本って相手を悪い気持ちにさせないためにオブラートにして嘘をつくみたいな風潮があるけど、私は嫌なことははっきり嫌って言うし、嫌いなものは嫌いって言いたい。裏で何か言われるのが一番嫌ですね。撮影やパーティーの時とかに衣装を自分でチョイスする時も、ブランドさん側がお勧めしてくれたものでも、自分の好みではないなーと思うと、「ちょっと違う、私っぽくないです。」って言っちゃう(笑)。
・ハーフであることがモデルの仕事に影響を与えたことはありますか?
―カナダ系フランス人で、カナダで過ごしていた間はフランス語だったのでフランス語が話せるのですが、撮影現場でフランスのブランドの方が話してる内容がわかりますね。内容が通じなくて困っているフランスのスタッフの方に、「私フランス語話せるから大丈夫ですよ」って言ったら、「やっとフランス語わかる人がいたー、よかった!」みたいな事もありました。
©WHOMEE / HAIR&MAKE:イガリシノブ
・言語はどのようにして習得したんですか?
―英語は独学ですね。日本に戻って来てから映画や本をたくさん見て覚えました。カナダから日本に戻って来た時がちょうと高校受験の時期だったんですが、日本語ができないから普通の受験は無理なんですよね。でも帰国子女だと試験も全部英語になっちゃう。そしてすでに話せるフランス語の学校はすごく学費が高くて。アルバイトしながら学費が稼げる学校ってなると都立の国際系の高校だったので、試験のために英語をすごく勉強しました。英語圏の友達が多かったから、たくさん会話したりフランス語の文章を英語で訳したり、とにかく繰り返してできるようになりました。カナダでは、学校がすごく厳しくて、年間のテストの平均が60点ないと次の学年に上がれないシステムなんです。5年間とか落ち続けてる人もいるくらい厳しい。あっちではフランス語を勉強して、他の教科も全てフランス語で受けていたので必死でしたね。日本に戻って改めて英語を勉強して受験頑張ったけど落ちちゃったので、通信制高校に行きながらバイトして、時間が少しできたからまた英語の勉強を始めて上達しました。
・日本では考えられない厳しさですね!
―カナダではどうしてこの答えになるか分かればよいので、計算機でやるんです。日常生活で計算するときってなかなか手書きではしないですもんね。
・日本では勉強もみんな万遍なくできて、そこから突出したものを追求する人は海外に出たりしますね。
―向こうでも日本人は超頭いいってみんな思っていますよ。数学で学年1位を取ったときも「さすが日本人だね」って言われて。確かに日本人は数学得意かもしれないけど「私個人が頑張ったんだけどなぁ」って思ってました(笑)。
・海外の人から見たら日本人は数学や勉強ができるっていうイメージがあるんですね。
―そろばんがすごく早い日本人の動画が流行ったりして、イメージがついてるみたい。「日本人は数学できる」って私が思うのは日本の掛け算の覚え方。九九って音楽みたいになってるでしょ?私は九九を覚えてから海外に行ったから掛け算に苦労しなかったけど、向こうではみんな計算機でやってたし、すごく特殊で覚えやすい方法だと思いました。
・カナダで暮らしていた9歳から15歳がとても勉強する時期だったんですね。
―うん、今は行ってよかったと思います。その時はフランス語も英語も大変だったけど。とりあえずAからZまで書けるようになって、父にも教えてもらって。初めて地元ケベック(カナダ)の学校に行った時も、みんな私のところに走ってきて色々話しかけてくれるんだけど一言も言ってることがわからなくって。「サッカー」って単語だけ聞き取れた(笑)、あとオレンジ。言語に関しては赤ちゃんレベルから始まったって感じでしたね。
PHOTO / Ena Kitamura
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