SPORTMAX 2024年春夏コレクション「A GARDENER’S BALLAD(庭師のバラード)」は、”自然の変化”と”変化の本質”を鏡のように映し出す #SportmaxSS24
SPORTMAX(スポーツマックス)2024年春夏コレクション「A GARDENER’S BALLAD(庭師のバラード)」。「自然の変化」と「変化の本質」を鏡のように映し出している。季節の周期、伝統と進歩の周期的なせめぎ合い、永続的な再生のアイデア、与えられたコンテクストにおける個人と集団の意識のリセットをインスピレーション源として、「自然」と「文化」の両方の領域を調和させること、あるいは両方の領域の間で完全な均衡を保つことに苦闘する世界における「自然」と「文化」が何を意味するのか、その核心を問いかけている。現代の世界は、高度なテクノロジーと最新のガジェットの急速なアップデートに完全に依存し、多機能なデジタルプラットフォームに甘やかされている。スピードと一時的な満足感を得るだけのアルゴリズムに飲み込まれて、取るに足りないことに喜びを見出す反面、物事の神秘的な側面や思索的な側面に触れる機会はどんどん失われている。深く考えることをやめてしまえば、私たちは恐ろしく鈍感になり、当事者ではなく詮索好きの傍観者となり、何事も機械的に行うだけで、型破りな冒険者ではなくただ人の後を付いていくだけの人間になってしまう。
ポスト自然主義の世界では、身の回りのある種の”自然らしさ”の感覚を捉え、それを”救出”しようと試みる一方で、研究室のキャビネットのガラス扉の向こう側、インタラクティブな博物館の展示、店のショーケース、あるいはスマートフォンのスクリーン越しに、自然を注意深くキュレーションし、執拗にプロファイリングすることで、依然として自然を人工的に封じ込めて、これを実現しようとしているに過ぎない。そこで、不思議に思う人もいるだろう。古代の儀式や伝統、職人技のように、自然もまた、絶滅した驚異の世界の”メメント・モリ”、すなわちいつかは訪れる”死の警告”となってしまうのだろうか?そして、人工的に生成されたレプリカが、私たちが将来生命を体験できる唯一の方法となるのだろうか?過去を認めない未来はあり得るのだろうか?人工的なものが新しい自然となるのだろうか?科学が新たな芸術となるのだろうか?こうした疑問が、このコレクションを取り巻く物語のモチベーションの核心にあるとすれば、それはまた、日本の美意識、そして、異なる歴史的瞬間における様式運動としての日本の美意識のさまざまな変容にも共鳴を見出すことができる。
ここでは、日本の美意識からのインスピレーションは、主に純粋さとコントラストへの畏敬の念に満ちた探求、つまり、制御と抽象の間の競合するバランスから引き出される幾何学的なシルエットの探求、着物がもつ完璧な建築的対称性、そして自然の中に見られる非対称性へと変換される。そのインスピレーションは、「芸者」の儀礼的な服装の再研究、着物のレイヤーの解体、「帯」のさまざまな形や装いの解釈への変換の中に見られている。それはまた、ディテールの経済性、ボリュームの大胆さ、そして、はかなさと不完全さを受容する「わび・さび」の感性に基づく生々しさを認めることにもつながっている。クリーンな臨床的雰囲気の中で、テクスチャーと光の効果によって、オプティカルからバニラまであらゆる色合いで生き生きとよみがえるホワイトに、酸味を感じさせる淡い水色のアクセントが”忍び寄り”、無菌的なラインアップに生命を与える試みがなされている。主なディテールとして随所に使用されたベルクロファスナーが、ミニマル・クチュールのような洗練さと、そっけない実用主義との間に緊張感を生み出している。プリントは、チェコ人アーティストのクリストフ・キンテラのインスタレーション作品の写真を直接転写したもの。キンテラの作品群「ポストナチュラリア」は、コレクションの着想段階から中心的なインスピレーションソースとなり、製作チームは、コレクション全体のコンセプトを完成させ、説明するにあたり、キンテラから、惜しみない共有を受けている。
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