「スタイル」の正体は、取捨選択の積み重ねなのか

もはや聞き慣れて久しい”スタイルのある人“って、結局どういう意味?どういう人はスタイルががあって、スタイルのない人の特徴は?

 

パリコレが終わってから、そんなことを考え過ぎて気付けば朝方になる日があるほど。

なんとなくは分かるんです。ただそれをどのように言葉で表現して、そうそうこれこれ!みたいなのがなくって。ライターという職業柄(?)言葉にならないものを言葉にしたがるクセがあるのかな…。

意図していなくても、スタイルって必ずみんな持っているもの。それはとてもパーソナルで、自分という人間を語るうえで欠かせない。ファッションに無頓着で、今日着るものを何も気にせず決めているとしても“気にしない”というのがその人のスタイルにさえ成り得ると思う。

スタイルは個性を表現されるもの、と定義されることは多い。でもそれだけではなく、自分がどのように世界を見つめ、世界と繋がっているのかを示すものでもある。

世間が経済的で生産性を求める社会に傾くと、自由を主張するヒッピーが流行り始め。悲しいことに戦争の話題が多くなると自然とミリタリーや暗いカラーのものが多くなることのように。
普通に生きているだけでも、取り巻く世界と必ず繋がっている私たち一人一人は、気にせずとも時代とともに呼吸し、スタイルを変えていく。

その変化がいわゆる“トレンド”なのだけれど、これが結構厄介なもので。流れの速い現代は、トレンドがめまぐるしく渦巻き、いたちごっこのようにいつまでたっても決着がつかない。トレンドを追いかけて外に目をやるばかりで、内側にある“自分スタイル原石”を研ぐことができていない。

人間が操作するはずの”トレンド”に、人間が操作されてしまう。つまりそれがスタイルのない人。

雑誌が「これはマストで買い!」と見たから買うのか?好きなモデルが着ていたから自分も着るのか?自分に似合っている?自分のスタイルに落とし込めている?

本当に自分の目で見て、それが良いと思うのか?

“スタイルのある人”は、たとえTシャツとデニムの日も、GIVENCHYのドレスでも、洋服の前にスタイルが際立っている。個性と身に付けるものが上手に絡み合い、一つになる。

自分に似合ううえに、身に付けてHAPPYになれる。そしてなにより、自分らしくいられる感覚の部分を大切にしているのかもしれない。

自分のスタイルを作るにはトレンドに流され過ぎないことの前に、自分が自分の本質を掴んでいないと表現できない。自分が分からないのに他人に分かるはずもない。

じゃあ自分の本質を掴むって?

結局それが何より難しい。特に若い間は経験が不十分。

ただ、トライし続けミスを恐れず挑戦することにこそ意味があると思う。新しいスタイリングを組み合わせてみたり、意外なショップで見つけたアイテムを取り入れてみたり。もしかしたら、思いもしなかった所にスタイルの欠片を拾えるかも。

結果がどうあれ経験することにこそ、価値がある。

 

「お金ではなくアイディアでギャンブルをするのが人生の楽しみ」今年のCHANELのオートクチュールショーで、カール・ラガーフェルドが放った言葉。

最も彼が伝えたかったのは、賭けてみないと何も始まらないし、行動に移さないと変化は訪れない。そして自分で選んだ道には責任を持ち、後ろを振り返らないこと。

人生で取捨選択してきた全ての積み重ねこそが、スタイルの正体。(かもしれない)

人生においての全ての決断、些細なものも大きなものも。ファッションだけでなく、全ての決断が自分を創っているいるのだとしたら、生きることに対してさえ真剣になれる気がしてくる。

産まれてきた”ついで”に生きてるんじゃなくて、生きるために生きたくなる。スタイルを磨く=年月を重ねる、と考えれば年をとることさえ楽しくなっちゃう。